残雪sL企画 北ア蝶~常念


2011年度山行No.62残雪sL企画北ア蝶~常念                   松尾
稜線上は常に槍や奥穂が見える絶景コース。二日とも晴れというお気楽な企画のはずだったが・・・
面子:OB 1菊池4L高梨 3sL松尾 2W坂田F鈴木EH水野



4/27()曇り

新宿=上高地(夜行バス)

 膝痛の成田の代打sL企画。出発前日はそれほど降雨がなかったようなのでわかんは持って行かないことにした。また、ゆとり山行であり月曜の天候が崩れる予報だったので1泊しかしないつもりでいた。そのためFも最終日夜はぺミカンをやめて各自レトルト。23:00新宿発だったが一応40分前に集合をかける。坂田が間に合ったので一安心していたら水野から遅れるとの電話。結局22:50頃到着。さらに水野はバス中で地図を書いていた。

4/28()快晴

6:10上高地―6:45明神6:557:30徳沢7:45(たるみ3)11:30長塀山12:00―(キジたるみ15分)―12:55蝶ヶ岳13:1513:20蝶ヶ岳ヒュッテ▲(6.2p)

 5:30頃上高地に着いた。パッキングが遅かったりトイレに行ったり登山計画書提出したりで予定より10分遅れで出発。トップは2年だが沢の林道歩きに比べて遅い。無言で腕組み、それが沢スタイル。僕も水野とモンベルでのバイトとかについて話していたが。運天でいただいた漬物は水野の職場では好評だったようだ。明神はスル―するつもりだったが上級生が急にザックを置きだしたのでたるむ。この後も林道。徳沢に着いて水を汲む。僕と水野は明日中の下山を主張したが、他はまったりしたいと言っていた。とりあえず今日の様子を見て決めることにする。

 長塀尾根の最初の取り付きは白毛門みたいな雰囲気。しばらくはたまに雪がついている程度。まったり登る。そういえば徳沢は登山客で賑わっていたが、長塀尾根に入った途端に人の数が激減した。ルートには赤布・ペンキが多数。しかもトレースもある。だが、それらがなければRFは難しいだろうと思った、特に下りでは。1800くらいでまあ雪山っぽい道になってきた。水野はたまに足が埋まり、鈴木はざくざく足が埋まっていた。余裕そうな坂田はそれを見て笑っていた。2000mのベロで現在地を聞く。長塀山は地形的に分かりにくかったし、目印もなかった。だが比較的展望がある場所だった。ロングたるみにしてフルーツ缶を開けつつ今後の方針を話し合う。登りで疲れた水野は寝返ってまったり派に成り下がってしまった。僕はヒュッテから先に進みたかったが、限界上サイトも捨てがたいので結局ヒュッテ泊ることにする。長塀山を出発して5分後に水野が大キジを討ちにいく。何のためのロングたるみか。妖精の池で現在地を聞いたが鈴木と水野が違う場所を指した。あらびっくり。



ようやく限界上に出たがここまでビーコンはつけなかった。蝶ヶ岳は地形図ではヒュッテの北側っぽく書かれてあるが、そこら一帯が蝶ヶ岳という扱いなのか山頂の標識は南側にあった。天場は一人500円。ヒュッテにはテレビもあった。サイトまで時間があったので日光浴していたが、風が強くいらいらさせられる。夜はワンゲルっぽくない、もとい具が少ないキムチ鍋。たまにはこういうのもいいか。差し入れをいただいて19:30就寝。

4/29()快晴

4:40ヒュッテ―(日の出たるみ10分)5:25蝶槍―5:45 2462コル 5:556:25 2592m 7:00 2512m 7:10―(たるみ1回)9:10常念岳10:0011:50常念小屋12:1513:00 1930m搬出開始13:15―(たるみ計4回)16:30一の沢登山口(10.8p)

 今日は日の出見たさの34半。ラーメン餅だが鈴木お手製のネギもやしぺミカンを加えたのでおいしい。鈴木の笑顔を見て今日の好天を確信した。出発しようとしたら「ゴアマがないです」by坂田。どうやら昨日ザックから落ちたところを風に飛ばされたらしい。一応10分ほど探したが埒があかない。幸い今日は好天だったので進むことにした。ヒュッテから10分ほど進んで日の出バックに記念撮影。今日もペースは遅い。

蝶槍からの下りは急だがはさむほどではない。2462コルまでには雪庇があった。ここのコルからアイピケにさせようとしたが、高梨さんにアイゼンはいらないと言われたのでピッケルだけにする。登りでは終始水野がつらそうにしている。まったりだなーと思っていたが、実は読みより早い。2592コルからシリセードしようとしたが雪が固くて痛い。常念までの登りは急で、岩雪のミックス。山頂まであと150mくらいで水野が足をひねる。四ツ岳での成田を彷彿させるコテこけ。とりあえずテーピングしてもらったが、思いのほか痛いという(下山して病院に行ったら左足首の脱臼と診断されたらしい)。上級生で荷物を分配して水野は空身にして登った。ペースは遅いが一応進んでいた。


山頂でロングたるみ40分。この時期にしか見られないという白いライチョウがいた。他の登山客も見とれていたのに坂田ががつがつ近づいていくと逃げてしまった。

常念からの下りは23年アイピケ。菊池さん高梨さんはピッケルのみだったが怖かったらしい。つければいいのに。水野の足を考えて岩場ではアイゼンを脱がせて下り、その間トップと菊池さんに先を見に行ってもらう。外してよいとのことだったのでそうしたが、その後また雪がつき始めたりした。このあたりのアイゼン着脱の判断は微妙だった。怪我人もいたし面倒でも時間をとって何度か着脱させるべきだった。岩場では水野が相当つらそうで常念から小屋までは読みの2倍かかった。小屋に着いてたるみつつ方針会議。ここからも読みの2倍かかるとすると日の入り近くまでかかるが、明日の天気が保障できないこと、早朝の硬い雪ではシリセードが難しいだろうなどなどいろいろ考えた上で、今日中に下山することにした。タクシーは4時間後に登山口ということで予約する。また、ここで今回はじめてビーコンをつける。

はじめは水野もシリセードで順調に下っていたが、傾斜が緩くなる1930あたりから一気にペースが遅くなる。このころには水野は自力で立つこともままならない様子だった。仕方がないので背負い搬出することに。たるみをとって、ちょうど空だった水野のザックで搬出セットを作る。体重が軽いことが幸いしてこの前の沢の救助訓練に比べたら幾分楽だった。30分ほど歩いていったんたるむ。ここで僕のザックも解体して全員で分配する。つらくなったので高梨さんに代わってもらおうとしたが、ザックが小さく背負えなかった。そこで僕が回復するまで鈴木に背負わせたが、あまり安定しないのとすぐに危険そうな箇所に来たということでまた代わった。何度かあった沢の渡渉が一番緊張した。一か所木橋のトラバースがあり、落とすと責任がとれないので自力で歩いてもらう。通過に相当時間がかかったので再び背負い搬出。タクシーには間に合いそうになかったので途中で抜かれた登山客に、僕らが遅れる旨の言伝を頼む。集中して歩いていたが「一の沢登山口まであと2km」の標識を見た途端、我慢の限界が来たので「必殺・高梨さん」のカードを切る。速い速い。ここからはむしろ僕が律速だった。結局予約の時間から遅れること15分で無事到着。登山口にいた登山客曰く、タクシーの運転手さんは散策に行ったとのこと。坂田と鈴木に呼びに行ってもらう。タクシーで穂高駅へ。みんな疲れていたのに、鈴木だけ高校時代の友達と遊ぶ約束をしていた。ちゃらい。打ち上げは松本駅近くのわたみん家。その後水野は実家へ、鈴木坂田は鈴木の友達とパーティ、残りの3人は松本の温泉へ。松本で駅カンして翌朝の高速バスで帰った。



まとめ

 稜線上は常に穂高や槍ヶ岳が見える最高のコースだった。特に危険個所もなく、残雪を楽しむにはいいと思う。企画者の成田には感謝。できれば燕まで行きたかったが2泊だときついかな。また、背負い搬出が実地でできていい経験になった。



 

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