夏合宿北アルプス





メンツ 3CL髙市、W一山、高辻、H村瀬 2EF藤原 1新留、西川、村田、八嶋

2014年度の夏合宿の一つとして、剣立山から、雲ノ平などに寄り道しつつ、奥穂高岳まで縦走する企画を出してみた。
この合宿のサブタイトルは行くぜ、槍穂。3rd.である。Lにとって去年から数えて3度目となる槍穂縦走に挑戦する企画で、この山域への思い入れは、他の企画とは比べ物にならない。
今回こそは、天災に悩まされることなく縦走できることを期待したのだが…。

やはり、このLの企画には幾多の試練が待ち受けているのであった。


夏合宿北アルプス~行くぜ、槍穂3rd.~
 
0~アプローチ編~
 
今回の合宿は、入山前から様々な不幸に見舞われた…。
 

8/5() 富山-晴れ

いよいよ明日から合宿開始だというのに8/3から発症している藤原のウイルス性(?)胃腸炎は一向に治らず、また北陸には前線が停滞し、それに加え台風11号もやってきているという不幸に見舞われ、この日を楽しみに連日徹夜を繰り返していたLは心身ともに入山前から疲れ果ててしまっていた…。まあとりあえず、藤原無しでは、剱も一年を連れて行けず、また後々問題が発生することは目に見えていたのでとりあえず天気も良くないことだし(予報では北陸に前線がかかり数日雨とのことだった)、入山を1日遅らせることにした。

 

8/6() 富山-晴れ

藤原の下痢は、少し治まったようだ。しかし前線は依然北陸地方に停滞しており、方針に雨天時は本ルートからは入山しない(つまり雨天時は剱に行かない)と書いてあることもあり、またこの時点の天気予報(気象庁発表)では、前線はあと3日で北陸から離れ、さらに台風11号も本州に上陸せず九州をかすめて朝鮮に抜けていく予報で(米軍の予報では本州直撃の予報だったが…) 10日以降は北陸の天気は回復するとなっていたので、他の3年会とも話し合った結果、その予報を信じて入山予備日をフルに使って9日アプローチ、10日入山しようとの方針にすることにした。

 

8/7() 富山-曇り

どうも台風の進路予報が変化して、本州、てか北陸付近を直撃する予報になったようだ…。もう自分の企画が天災に脅かされるの4回目なんですけど?
これはいよいよ自分が天災の化身なんじゃないかと思えてきたよ…ε=(・д・`*)ハァ…。
さらに藤原から、下痢と腹痛が再発したとの報告もあり、9日アプローチも絶望的になってしまった。最悪、藤原は折立で研修させて、停滞日に拾いに行くかとも考えたが、この日鹿島槍から五竜の間(八峰キレットあたりかな?) で男子大学生のパーティーが遭難したとのニュースもありやはり悪天で北アの岩稜地帯に入るのは危険で、完全に晴れになるまで待とうということに決まった。などと話し合っていると、なんと乗鞍隊が下山した。

 

8/8() 富山-

藤原の下痢と腹痛は未だに治らず、台風接近時は入山しないことになっているので、もう入山予備日は1日も残ってないが、行動予備日を削って、さらに2日東京で停滞することにする。ここまで入山が遅れてしまうと、計画書を再送付したほうが良いとたまたま御殿下であった松尾さんに助言されたため3警察に計画書を送りなおす。それと、Lはうっかり失念していたのだが、黒部ダムからの道は、渡渉点で橋が流されているので、泣く泣く黒部ダムからのアプローチを諦め、室堂からの入山を決めた。

 

8/9() 富山-

暇だ。5日も東京で停滞て…。もう前代未聞だぜ。あまりにも暇なので、Lはベースボールに興じて1日を過ごしてしまった。などとしていると、化穴隊が台風接近を嫌って、前半の日程を切り上げ、一旦下山してきた…。自分たちはまだ入山すらしていないというのに(゚Д゚)

 

8/10() 富山-曇り

藤原の体長はすっかり回復したようだ。よかったよかった。そして台風11号は 、本日北陸地方を襲っている。先の天気予報も、まあ悪くはないので明日、ついにアプローチすることにした。(((o(*゚▽゚*)o)))

 

8/11() 富山-曇り

集合は6:00JR池袋駅。前日、深夜まで飲んでいたL始め、始発でうまく乗り継ぎできないと危なかった西川や藤原も無事に集合することが出来、一同、新潟を経由して富山県立山駅に向かう。池袋駅には、大橋が見送りに来てくれていた。いったいどんな爆弾を差し入れてくれるのかと思ったが、人数分のチョコボールだった。なんとも可愛らしい。村瀬は現地合流の予定だったので、村瀬の分はLが食べてしまった。あしからず。主将は見送りには来てくれなかったようだ(゚Д゚)ノ藤原は“実は痔なんですよー”とうれしそうに報告していた。言いたがりだから仕方がない。滑川から富山地方鉄道という高辻も乗ったことがないというローカル線に乗って、一同は立山に到着。この日のうちに室堂まで行けるように到着はしていたが、立山で明日の天気予報を確認してみるとどうも良くないらしい。しかし明後日はいい天気みたいなので、劔は明後日行けばいいやということで立山で寝ることにする。立山駅あった定食屋“あさぎ”で富山商業-日大鶴ヶ丘の試合を観戦しつつ夕食を済ませ、入山連絡の後就寝。一山がMap類を全て忘れたらしい。まあいいだろう。

 

1~剱、立山、薬師編~

剱、立山、そしてワンゲルではなぜかここ30年は少なくとも行かれてなかった立山~薬師間の縦走。天候は基本最悪。まあ最初は苦労して徳を積んでおくのもよかろう…。 


8/12() 小雨--暴風雨-小雨-晴れ-快晴

600立山=730室堂-740みくりが池750-815雷鳥沢キャンプ場-825たるみ(雪渓の前)835-935剱御前小屋1035-1100剱沢キャンプ場

6:00発のケーブルカーに乗るために、Lと高辻は5:00頃から起きてチケット売り場に並ぶ。立山-室堂は荷物代も含めて2730/人。標高400mの立山駅から標高2400mの室堂まで、ケーブルカーとバスで一気に標高を上げる。まさにチートである。途中美女平の駅に秤があったのでザックの重さを測ってみると18-27kgくらいであった。室堂に着くやいなや小雨がぱらつき始めた。

室堂~出発や否や雨
室堂で日本100名水の立山玉殿の湧水を飲み、みくりが池で体操をして出発。雷鳥沢までは読みの0.5倍で進んだが、ここからの登りは雪渓を渡ったり、雨が強まったりで読み通りくらいでしか進めなかった。そして剱御前小屋まであと数分のところで激しく風が吹き始めた。なんだこれは?いつぞやのデジャブか?(※昨年の企画、行くぜ、槍穂。2nd.のことである)とも思ったが、明らかに地面と水平に雨が降っていおり歩きたくないレベルの暴風雨なので、一同小屋に駆け込む。まあ、自分で言うのもなんだが、この手の天候は毎度のことなのでそれほど驚くこともなかろう。山からの手荒な歓迎である。一年よ、慣れてくれ。(どうもすみません…) 剱御前小屋に一時間ほど避難して、雨も小降りになってきたので一同、剣沢に下る。剣沢に着くと、雨も止み、晴れてきた。
剱沢キャンプ場にて
明日が楽しみだ。Lはお前が出ると雨が降るからテントから出るなという不当な扱いを受けた。逆天の岩戸伝説である。タコライスを食べ、とんでもなく不味い麦茶飯を飲んで(今回の山行の茶飯はほとんどが麦茶だった…)、天図大会をして就寝。
剱岳とL
1年はほとんどが初めて天図を書いたらしくあまり出来が良くなかった。まああと何回かやれば慣れてくるだろう。夜、快晴だったのでLはおかんに挑戦しようとしたが、風が非常に強く寒くてとてもじゃないが無理であった。あと剣沢のトイレはひどいものだった。水は殺菌済み。

 

8/13() 快晴-曇り

500剱沢キャンプ地-520剣山荘-540一服剱550-前剣625-650平蔵のコル700-745剱岳850-943前剣前のケルン郡955-1010前剣-1045一服剱1100-1117剣山荘-1140剱沢キャンプ地
 
朝、空を見上げるとそこには雲一つない青空が広がっていた。そう、我々はこの空を5日も日程を伸ばして待っていたのだ。
剱岳
一服剣までは、剱沢雪渓を横断したりするのでまあ読みどおりくらいで進んだ。さあここからは危険区間である。この危険区間はLが自ら先陣を切って隊を安全に導こうではないか。ということでダダをこねてLトップで進む。途中雲が増えてき始めた。カニのタテバイは別段危険とは感じず、登り区間で危険と感じるところはこれといってなかったが、渋滞などの影響で結局読みどおりくらいでしか進めなかった。
剱山頂ではジジイが寒いなどと曰いていたが、無視してロングたるみをする。当然だろ?天気もよくたくさんの写真を撮ってから剣沢への帰路につく。
剱岳山頂にて
下りも3年トップで進む。ほとんどロスは無いが23箇所道を間違えた。なんとも分かりにくい。後半もまあ読みどおりである。こういう人の多いところではやはりエアリア等倍くらいかかってしまうのだろう。
一服剱より
サイマスはなぜか忘れたが3年の一山。しかし仕事をせず1人テントで寝てた。高辻は、ガスの音からヘッドがきちんとしまってないと察知し、若衆に指導していた。頼れるジジイである。村瀬は…。Kindleの充電が切れたら、叩き割ってもよいという権利を高辻に譲渡していた。炊き込みご飯と豚汁、そして麦茶飯を食した後、2回目の天図大会。やはり初めてと2回目とではできが全然違う。上達してた。西川は微熱があるらしいので、天図大会には参加せずテントで安静にしていた。明日以降、天気は崩れるらしい。( ・g・)

 

8/14() -曇り、終日強風

450剱沢キャンプ地-505分岐-540別山555-642真砂岳652-702分岐-725富士ノ折立752-800大汝山830-850雄山900-945一ノ越1000-1023龍王北分岐-1050鬼岳東面1100-1137獅子岳1147-1227ザラ峠1244-1305分岐1315五色ヶ原キャンプ地(別働隊-1313五色ヶ原山荘1330-1338五色ヶ原キャンプ地)

昨日の好天が嘘のような荒天である。しかし歩けないほど風が強いわけではないので、先を急ごう。今日からは、1年にもトップをやらせることにする。はじめは、ドメス新留ドメス(以下DND or新留)。分岐までは早めだったが、その後は藤原に指導されたのか適切なペースに戻った。何も見えない別山山頂で、exciting bull西川(以下西川)が体調不良を訴える。しかし歩けないわけではないようなので、後ろに村瀬をつかせて歩いてもらうことにする。このあと、女性村田(以下村田orパン健)、チョコボール八嶋(以下ケルン八嶋or八嶋)とトップをして、立山三山の富士ノ折立に着く。頂上を空身でピストン。何も見えない…。次の大汝山(立山)では少し展望が晴れ、黒部ダムまで見通せた。


大汝山にて
ここで、西川がポリを3発歩荷していることが判明。そもそも2発しか持ってこなくていいのに…。全発捨てさせる。次の雄山(立山)に着く頃には、少し体調も落ち着いたようだ。この時は寒くてまあ仕方ないかもしれないが、西川は上着を着込みすぎて、大量の汗をかき、たるみの時に体を逆に冷やしてしまっていた。あの上着(南極探検隊ジャンパー)は考えものである。雄山からの下りは異常な数の観光客とすれ違いながら、新留がドメステップを駆使して一ノ越山荘まで下る。ここからは観光客はいなくなり、登山客だけになり、ペースも上がって読みよりもだいぶ早く進むことができた。五色ヶ原の分岐からは、隊を高辻と村瀬に任せて、Lと一山は別働隊として五色ヶ原山荘へとキャンプ届を提出しに行った。藤原が、デポ地に前半の乾野もデポしてしまっていたため野菜なしのスパムミネストローネを食す。夕方、天図を見てみるとそこにはなんとまだ8月だというのに停滞前線(秋雨前線?) が日本列島を覆っているではないか (((゜Д゜;)))なんだこれは。呪いか?それとも今日下山した化穴隊からの置き土産か?と一同絶望した。(後から聞くと、化穴隊とL以外の北ア隊のメンツはLの人徳のせいだと思っていたらしい。)もう雨だから停滞しようということは言えなくなってしまった…。そんな甘えたことをいっているとずっと停滞して下山するしかなくなるからである…。そんな絶望の中就寝。五色ヶ原のテン場はトイレットペーパーを自分で持ち帰らなくてはならない。

 

8/15() 晴れ-曇り-小雨-ド雨-曇り

445五色ヶ原キャンプ地-452道間違い-503五色ヶ原キャンプ地-513鷲山への分岐-535鳶山545-656越中沢岳712-815スゴの頭835-900スゴ乗越-935スゴ乗越小屋で休憩1150テント設営

五色ヶ原での日の出
あれ?おかしいぞ。空が晴れてる。明けの明星さんが僕たちを歓迎してくれているよ?と、なぜか晴れていたのでこれはラッキーとさっさとスタートする。と思ったのも束の間、DNDことドメスがいきなりERにすらとってなかった下山道をスプリントし始めた。Lと高辻はかなり離れたところから冷ややかに見ていたが一向に気づかずどんどん行ってしまっていたので呼び止める。藤原よ、ちゃんと指摘しなさい。そのあとも、西川が前をあまり見ていなかったと言って、小藪に突っ込むという一山ミスをしたりしていた。集中しなさい。鳶山-越中沢岳は120分を見ていたが60分くらいで行ってしまった。
越中沢岳にて村瀬
この先も0.6倍読みくらいでずっと進んだ。天気も良かったのでだらだらたるんでわいわいやっていたのだが、スゴ乗越小屋少し手前からだろうか雨が降り始め、スゴ乗越小屋に着く頃にはド雨が降りはじめた。一同、キャンプ場を通過して小屋に逃げ込む。スゴ乗越小屋はワンゲル部員のペーターさんが働いている小屋である。そのよしみで、小屋の中に入って、客間で暖まらせてもらえた。なんとも身内びいきである。水も無料でいただけた。ありがたい。2h近く小屋で休んでいると雨も小降りになってきたので、ずうずうしくもスコップを借りて、テン場の整地を行い、快適なテン場を作ることができた。ペーターさん様様である。夜は野菜なしカレーだったが、なんと村田が買ってきたのがジャワカレーの中辛というLの許容範囲をはるかに超えた劇物であった。いやぁつらかったよ。若天では6文字縛りでしりとりをやってたらしく、exciting bull西川のダム決壊という単語?に藤原が大ウケしていた。ジジイたちはその藤原のウケっぷりにウケた。あと若天では村瀬の悪口ゲームもやってたようだ。(=´∀`)ジジ天では、村瀬がいない隙をついて3人で扇形で就寝した。夕方-夜にかけて雷雨。メモにはこわい…。と書かれていた。

 

8/16() 曇り-小雨-強風雨-暴風雨-雷雨-曇り

500スゴ乗越小屋-555間山605-720北薬師岳730-813薬師岳820-835避難小屋跡-854薬師岳山荘904-930薬師平-950薬師峠キャンプ場-1010太郎平小屋

今日は、ペーターさんが太郎平小屋に荷物を受け取りに行く仕事があるということで、太郎平小屋まで一緒に行動することになった。今日は、スタートの時はそうでもなかったが天気が悪かった。なのでLは、たとえ読みで100分になっていようとめぼしい地点以外ではたるみを取らず、ロングピッチを切ってさっさと太郎平に言ってしまう作戦を実行した。しかし、0.6倍くらいで歩けているので実際にはたいしたロングピッチにはならなかったが…。間山までは、それほど悪い天気ではなかったが、ここからがただの修行であった。
吹き付ける強風と雨で、あまり景色を覚えていない。てか、景色はなかった気がする。北薬師岳、薬師岳でもそれほどたるまずにさっさと通過することにする。悪天の薬師岳の頂上は正しく社のあるところなども共通しており、去年の木曽駒ケ岳の完全な再現だったと
いえよう。村瀬は薬師岳の頂上の社に200円を投じて、土下座させてもらっていた。
薬師岳にて
ここからの下りは、既に風が暴風の域に達していたので、藤原をトップにして急がせた。途中、新留が岩場でスリップして頭を打ちたんこぶを作り、西川が足をひねって、軽い捻挫を起こしてしまった。薬師平を過ぎた頃からだろうか、樹林帯に入り風はなくなったのだが、激しい雷と豪雨に変わった。そして完全なリサーチ不足だったのだが、薬師平から薬師峠キャンプ場までは、沢沿いを下っていく道で、ただでさえ普通の道も沢のようになってしまっているのに、そもそも沢だったところは増水してしまっており、かなりの危険を感じた。見ても意味がないのは分かっていたが、何度も後ろを振り返って大きな水流は来ないかを確認していた。しかし、沢を下らずに、薬師岳に引き返すことはそれこそ雷に撃たれに行くようなものなので選択の余地はなかった。薬師峠キャンプ地など目にもくれず、小屋に駆け込んで休ませてもらう。そこで得た情報によると、さっきの雨は30mm/hを普通に超えてしまっていたらしく、ER3がつながる有峰林道は封鎖されてしまっているらしかった。太郎平小屋の人はとても優しく、中に入れてもらえただけでなく、乾燥室さえも使わせていただけた。ペーターさんは今日中にスゴ乗越小屋帰るといって雨の中、薬師岳にまた登っていった…。ご武運をお祈りします。一山はネパールカレーというものを食べていた。Lは静岡大学の人に研究だと言ってヒヤリハットに関するアンケートを受けさせられた。西川は意識があまりないといって、小屋にいた医者 (たぶん医者) に見てもらい、のどの薬と頭痛薬をもらっていた。(カンパ1000) 1-2hほど待つと雨も小降りになったのでテン場に移動して、デポ品を回収した。そのタイミングで奇跡的に晴れたので一同荷物を乾かす。村田はパンツだけがびしょびしょになったと言っていた。これが彼が女性とよばれる所以である。フンドシだけど…。ジジイの某Tさん(私ではない)はサングラスにパンイチ、サンダルという明らかに不審な格好でこれがおしゃれの極限値とかなんとか意味不明なことを言っていた。それに同調する、取り巻きFもいたけど…。夜はボルシチ。やっとまともな飯にありつけた。雨が降っていたので若衆に持ってきてもらいたかったけど、ドメスがニコニコしながら取りに来てくださいというので、仕方ないなーということで濡れながら受け取りに行った。全く、ジジイはドメスに甘いよ。

 

8/17() 雷雨--曇り

終日停滞

停滞日だけど500起床。というか雨が激しすぎて嫌でも起きてしまった。異常に長い雷鳴が轟く雷を何発も聞かされ怖かった。メモには“こわいよお。茂木さん助けて…”と書かれている。今日もER3は使えないだろう。ER4も渡渉があるので無理である。820のニュースで富山県全域に大雨洪水警報が発令していると聞いた。このサイト地は電波が入る。雨が止んだタイミングで太郎平小屋にダンボールを燃やしてもらえないかとお願いに行くと、承諾していただけた。何から何までありがたい。夕方のニュースで富山、岐阜県では地盤が不安定で土砂崩れに注意(今、ちょうど県境近くにいる)、また岐阜県高山市(ER5の下山口)48h300mmの気象庁観測史上最大の降雨を観測したと言っていた。やはり呪われている。夜飯の時に、ドメスが鉛筆でご飯を食べていることが発覚。藤原にいじめられているのかと思ったが、どうやら剣沢でスプーンを落としてしまったが、藤原が予備スプーン(+ラードも)を持ってきてなかったらしく仕方なく鉛筆で食べていたそうだ。藤原よ…。というかそういうことはLに報告しなさい。Lはいつも予備スプーンとフォークを差し入れ用に持ってきているのでそれを渡した。いいことした気分だ。

 

2~黒部五郎、雲ノ平、鷲羽、水晶編~

薬師岳から黒部五郎岳を打って、三俣蓮華岳まで縦走の後、鷲羽岳を超えて雲ノ平へと向かう。小屋の人などにこのルートを説明すると、太郎平からなぜ直接行かないのかと不思議がられた。しかしLには一応剱~穂高までの稜線を縦走したいという思いがあったのでこの一見おかしなルートを選択したのである。天候は中くらいと言っておこう。第1部よりは良かった。

8/18() -小雨-曇り--晴れ

505薬師峠キャンプ地-525太郎平小屋540-548太郎山-622たるみ632-720北ノ俣岳735-808赤木岳-828たるみ840-845中俣乗越-905 2578p-935たるみ945-1010分岐1018-1026黒部五郎岳1156-1204分岐1208-1317黒部五郎キャンプ地

村瀬がマップケースを太郎平小屋に忘れたようなので、撤収が終了次第、各自太郎平小屋に移動してそこで体操をすることにする。皆、後半の食料、着替えなどが入りザックはかなり重くなっているようだ。体操の後、ドメスに2回目のスピーチをさせると、若い娘が好きだと言っていた。天気がいいとは言えなかったが、今日はたるみの度に空が晴れて、かなり都合が良かった。中俣乗越までは思うほどはペースが上がらず、読みに結構近いペースで歩いたが、登りばかりの黒部五郎岳までの上りではやはりワンゲルらしくかなり読みより縮まった。荷物が重くても十分速いペースで歩けるということである。しかし、村瀬の外付けされたサンダルがヒラヒラしていて、それが高辻をイライラさせていたようだった。黒部五郎のピークは、久しぶりの皆が待ち望んだ晴れ。(*≧∀≦*)(まあ晴れということにしておこうや)久しぶりに太陽を見たよ。(*≧∀≦*)こう言うとかなり不健康そうにも聞こえるが我々は毎日山を歩き、早寝早起きに徹する極めて健康的な集団である。1.5hもたるんでしまった。
黒部五郎岳にて
一同、思い思いの写真を撮る。なんか適当に撮っていたら、一山を中心とした、インディーズバンドのジャケット写真のようなものまで撮れてしまった(↓)。あれはなかなかの傑作だと思う。
【傑作】売れないバンドA
高辻は、写真に写るときはメガネを外すこだわりがあるらしい。1年は何人か山頂で寝てた。
黒部五郎岳にてジジイたち
山頂からは、遠くに黒部五郎小屋が見え、遠そうだなとは思ったが、たるんでも時間が無駄だと思ったので、1ピッチで行ってしまった。黒部五郎小屋はかなりいい感じの雰囲気が漂っていた。ただ11000円は高いよ…。夜飯は麻婆豆腐、そして差し入れのロイヤルミルクティー (茶版が麦茶ばっかでジジイは嫌気がさしていたので茶飯ネタとしてココアなどの差し入れを出していた) だ。スパムがspicyなやつだったので、藤原がLに食べられますか?と茶化してきた。まったく舐めた野郎だぜ。そして案の定、Lにはspicyスパムは辛すぎた。無念(つд⊂) 。新留と村田が靴擦れしているようだった。藤原が靴擦れ用のテープを持ってきていたのでそれで処置していた。天図を見ると停滞前線が分裂していた。それもあってか夜は村瀬がおかんに挑戦した。こちらとしては、村瀬が出ていけば広くなるので大喜びだ。と思っていたが1hほどで突然大雨が降って村瀬をテントの中へ収容する羽目になった。あーあ濡れちゃったよ(`・ω・´)

 

8/19() -強風雨-強風霧-晴れ

525黒部五郎サイト地-625分岐635-730三俣山荘745-850鷲羽岳900-930ワリモ岳-950ワリモ北分岐1000-1030水晶小屋1050-1110水晶岳1120-1140水晶小屋1150-1215ワリモ北分岐-1220岩苔乗越-1225たるみ1240-1320祖父岳1345-1400分岐-1420スイス庭園分岐-1425雲ノ平山荘分岐-1430雲ノ平キャンプ地

今日も50分ごとにたるみは取らず、基本ロングピッチを切って行動する作戦で進む。これまでの行程がかなりゆとっていたので、隊に肉体的な疲労はあまり感じられず(精神的にはかなり嫌になっていたと思うが)、順調にエアリア0.6倍くらいで進めた。三俣山荘からは、曇りなら黒部源流、晴れなら鷲羽を通るルートで雲ノ平に行く予定だったのだが、いつものように今日も雨(この時はまだ小雨程度)。三俣山荘には源流は増水注意と書かれていたので、鷲羽を超えていくことにする。このころから、隊員の雲ノ平とか行きたくないという声がチラチラ耳に入り始める。しかし無視する。鷲羽の登りは、急登ではあるがかなり歩きやすかった。しかし、吹き付ける強風と濃い霧、そして雨で視界はほとんどなく、またLと高辻はゴアマを着ずに登っていたため、寒さに震えながら登る。服が凍りついちゃったよ…。鷲羽山頂、完全な悪天…。ここでついに我慢の限界に来ていた隊員が、一斉に3年会を筆頭に謀反を起こし始め雲ノ平に行きたくないとの声が次々とLの耳に入る。正直、精神的にかなりきつかったが、Lとは山行中天涯孤独の身であり、やりたいようにするだけなので隊員の意見に全く耳を貸さず雲ノ平へ進むことにする。Lとは少々強引なくらいがちょうどいいのである。ワリモ北分岐のところで、Lは正直水晶岳はカットでいいかなと思っていたのだが、高辻が一年会に行きたいか?と聞くとなんとドメスが行きたいというではないか…。男体女峰に引き続き合宿でもジジハラをしようというのか…。(今年の男体女峰は大雨だったが1年が登りたいというので、頑張って登り何も見えない景色を楽しんだ。) しかし行きたい人がいるのなら仕方ない、水晶岳にも行くことにする。水晶小屋への登りはかなり疲労したようだ。水晶岳へは、新留、村田、八嶋、藤原そいてL5人で空身ピストン。言いだしっぺの高辻他2名のジジイは行ったことがあるとか言って小屋の中でぬくぬくしていた。水晶への登りは小屋からの直登ルートが植生保護のため利用できず少し迂回して進んだ。山頂もガスで何も見えなかったが、若衆は元気だった。
水晶岳にて若い衆
小屋に帰ると、ジジイたちはリアルなジジイの方々から、おにぎりやらきゅうり、ソーセージなどを頂いていたようだ…。俺らにもヨコセヤ…。それから一同は雲ノ平を目指す。するとどうだろう天候が回復して晴れてきたではないか。やはりこれは鷲羽で引くのではなく、前に進むという攻めの選択をしたことへのご褒美であろう。(正直このまま悪天だとLは隊員に処刑されてしまうと思っていたので内心大喜びしていた…) 祖父岳は思った以上に遠く、また途中で道を見失った(というか地形図どうりの道がなく巻道がどこからともなく出ていた) りしていたため、読みどうりくらいかかってしまった。祖父岳頂上には大量のケルン群があり、ケルン八嶋は大喜びである。八嶋ご自慢の一眼レフを取り出して写真を撮るは撮るは…。
祖父だけのケルン群
祖父岳からキャンプ場までは、直通ルートが植生保護のために使用できなかったので巻き道ルートというコースを進む。これがまたとんでもなく巻いて進むためかなり時間がかかった。また整備が微妙で藪こぎかよと思えるようなところもあった。そして雲ノ平山荘。まさしく大草原の小さな家といった様相である。雲ノ平山荘の向こうには祖母岳が見える。祖母岳…。祖母岳…。大橋さん…。夜は水炊きとココア。水炊きにはやきとり缶を入れ忘れたらしい。今回はこういうミスが多いヽ(`Д´)

 

8/20() 晴れ

一応、終日停滞の日

515雲ノ平キャンプ地-530高天原への分岐-635高天原峠645-720高天原山荘735-750高天原温泉1000-1015夢ノ平1020-1022龍晶池1029-1041高天原温泉1048-1105高天原山荘1115-1153高天原峠1205-1240奥スイス庭園-1244たるみ1255-1320雲ノ平山荘1330-1340祖母岳1400-1410雲ノ平山荘
一応、今日は停滞日である。しかし晴れと、温泉を渇望していた隊員に停滞するなどという考えは粉微塵も浮かんではいなかったであろう。本当に晴れてくれてよかった…。Lのなけなしの人徳を全部使った気分だっただよ…。どうもLは神様に完全に嫌われてはいなかったようだ。高辻に言わせれば同じクラスにいたら嫌、レベルでは嫌われているらしい…。いつもどおり35で起床し、高天原温泉に向かう。すぐに到着できると思っていたが、高天原まで500m降らなければいけないので予想以上に時間がかかった。とくに下りは、虫がかなり多くまたハシゴなどが数多く存在し急な下りのため時間がかかってしまった。高天原山荘で200/人を払っていざ温泉へ。
高天原温泉♨
皆、着くやいなや服を脱ぎ捨て秘湯の露天風呂へダイブ。O(≧▽≦)O照りつける太陽の下、大自然と裸の男たち…、なんともワンゲラーである。こんなところ誰もこないだろうと油断していると、なんとJKを伴った高校生の集団がやってきたではないか(;゚Д゚)!裸のまま谷沿いを上流のほうに登っていっていた村瀬はばっちりその裸を披露してしまったようだ…。しかしこのような地に、法の支配は及ぶまい。きっと野猿(いや、山中に不法投棄された電子機器か) を見たぐらいに思ってくれていることだろう…。温泉は共用が2つと女性用が1つあったがジジイ達が威厳たっぷりに浸かっている風呂には高校生風情が近づけるはずもなく、2hずっと貸切状態だった。温泉のあとは、空身で夢ノ平をピストン。一山は気乗りしないというので温泉に置いていった。夢ノ平は、完全に名前負けしている場所で、夢ノ平という名前だけで行くと決めた中二病のLはじめ一同がげんなりしたことだろう。
夢ノ平にて
しかし近くにあった龍晶池というところは村瀬が気に入ったようだ。帰りは、あまり汗をかきたくなかったので藤原をトップにしてゆっくり進むように言ったのだが、なぜか言うことを聞かず暴走。下りより早いペースで斜面を登った…(゚Д゚)ノトップを八嶋に変えるが、八嶋もかなりのペースで高度を爆上げしていって読みよりもかなり縮んでしまった。君たちはLに何か言いたいことでもあるのかな?高天原山荘に着くと、いったん隊列を解散して、L、藤原、村瀬、村田、新留は祖母岳へ、残りはキャンプ場に帰った。祖母岳はただの芋ピークだったが、祖母という名に釣られて行ってきた。祖母岳…。今日の夜飯はと藤原に聞くと青椒肉絲だというのだがピーマンも入っておらずネギだらけの料理でジジイはこれを“男体藤原丼”と名付けた。西川のくしゃみは高周波成分が多いらしい…。

 

3~槍ヶ岳、穂高岳編~

雲ノ平から西鎌尾根を経て、槍ヶ岳に至り槍穂稜線を縦走して上高地へと下山するルート。槍穂稜線こそ、この合宿の最後にして最大のメインであり、Lにとって3度目の挑戦の地であるまさに悲願のルート。天候は、この合宿の中では良かった方である。

8/21() 曇り-濃霧-強風霧-曇りor晴れ(雲より上にいた)

500雲ノ平山荘-506山荘or祖父岳への分岐-511スイス庭園or祖父岳への分岐-537祖父岳or日本庭園への分岐-556日本庭園602たるみ615-645黒部源流700-740三俣山荘755-827巻道への分岐-840三俣蓮華岳-852-927分岐-944双六岳955-1022分岐-1033双六小屋1100-1130樅沢岳-1153たるみ1205-1212硫黄乗越(標識)-(1240トップ交代)-1244左俣岳(p2674)-1249左俣乗越(標識)-1300 p2648前コルでたるみ1310-1408千丈沢乗越1420-1517槍ヶ岳山荘1540-1555槍ヶ岳1610-1635槍ヶ岳山荘

今日は根性日にしよう。温泉に入って、早く肉が食べたい欲に支配されたLは今日、雲ノ平から槍ヶ岳までの2日分の行程を一気に行ってしまおうと決めた。幸い昨日は停滞日である。皆の体力も全快していることだろう。昨日一日、雨が降っていなかったので、今日はORを使って黒部源流を通るショートカットコースで進むことにする。迂回ルートを通って分岐まで行き、日本庭園を目指す。日本庭園というからには、松竹梅でもあるのかと思ったが何もないただのだだっ広いところで萎えた。黒部源流への下りは一応渡渉点などあるので村瀬をトップにして下る。読みよりもだいぶ縮まった。
黒部源流
黒部源流でたるみののち、三俣小屋への上り、トップは西川だったがイマイチスピードが上がらなかった。三俣山荘を過ぎるとガスがかかってきて視界が悪くなった。

双六岳にて
三俣蓮華岳、双六岳と何も見えないピークで一応記念撮影の後、高辻にとって因縁の場所、双六岳と双六小屋のあいだの分岐に至る。ここで“ここでならデポられてもええで”の写真を撮影する。(昨年の残雪企画黒部参照) 大橋さんよ、願いがかなったよ?( ´▽`)そしてすぐ双六小屋。正直Lとしては、笠ヶ岳に行きたかったのだが、これまでの行程の中で幾度となくあらゆる隊員に笠ヶ岳行こうぜと誘っても、全員に断られ続けた経緯もあり、涙を呑んでOR4は断念することにする。(ちなみに笠ヶ岳は雲がかかっていて見えなかった。) 双六小屋には富山大学の診療所があり、高辻の知り合いがいるかもだったが、ちょうど出払っていたらしい。ここから西鎌尾根を爆走する。全体で読みの0.6倍くらいでは進むことができた。この区間は、ピンがあまりなかく、ガスで見晴らしから地形判断が難しかったのでここぞとばかりに藤原が地図読みの練習をさせていた。西川は地図を見ながら歩くようにしましょう。硫黄乗越と、左俣乗越には標識がある。千丈沢乗越直前のp2734前のピョコのところで巻き道を全員で見逃してしまい、かなり危なげなルートを歩いてしまった。反省すべきところである。千丈沢乗越のところで、強い風が地形の影響も受けて渦を巻いており、若干進むのに不安を感じたがいまさら引き返せないので進む。槍ヶ岳山荘までは、強い風を背に受けながらひたすら急登を登る。いつまでたってもゴールの見えない上りに心が何度も折れそうになったが60分ひたすら登り続けると槍ヶ岳山荘に到着した。槍ヶ岳山荘でテント受付を済ませて激しく風の吹きつける3000m稜線上にテントを設営して空身で槍ヶ岳をピストン。すると、我々の到着を待っていたかのようにガスが晴れてきたではないか(゜▽゜)槍ヶ岳の登りは相変わらず退屈で、渋滞がなかったこともありスムーズに上れた。雲海に浮かぶ槍ヶ岳山荘はまるでラピュタである。昨年のような快晴の山頂もいいが、こういう景色もまた乙である。山頂で学年会ごとに写真を撮るなどゆっくりした後、下山。
槍ヶ岳にて
夜飯は鶏肉八宝菜と緑茶。やっと麦茶から解放されたよ…。天図は既に4時を過ぎていたので取らなかった。まあ電波通じるしいいだろう。雲間に沈む夕焼けが何とも言えなく見事だった。これを見て隊員の心は洗われたようだ。八嶋はもう切れません宣言をしたらしい。よかったよかった。ケルンがないと切れちゃう子だったからね…。夜は吹きつける猛風でテント内が爆音に包まれていたため、根性日の後だというのに全然眠れなかった…。水は200/l。1泊1000/
槍ヶ岳山荘からの夕日
 

 

8/22() 快晴-濃霧-曇り-晴れ

520槍ヶ岳テン場-525飛騨乗越-540大喰岳-608中岳620-654分岐-707南岳-715南岳小屋725-820たるみ830-850長谷川ピーク-910A沢のコル-1010北穂高小屋1025-1026北穂高岳-1145たるみ1158-1220涸沢岳1235-1255穂高岳山荘1317-1335奥穂高岳1345-1415穂高岳山荘1430-1510たるみ1525-1600涸沢キャンプ地

どうも天気予報が良くない方に変わってきている。(まあずっと悪かったけど…) 予報に雷雨が入ってきている。槍穂稜線は完全な岩稜線なので、いくら小屋前といえど3000mに近いサイト場で雷の夜を過ごすのは危険すぎる…。ということで今日も行程を伸ばすことにした。穂高岳山荘で天気を確認して、行けるなら岳沢まで行ってしまおうと…。
槍ヶ岳
それにしても清々しいほどの快晴である。Lにとって3回目の挑戦となるこの大キレット横断がついに実現しそうだ。Lは本当にこれまで我慢して進んできて良かったと思った。南岳小屋までは、さして危険なところもなく1年をトップにしてさっさと進ませる。するとその先にはついに大キレットが姿を現した。全員にヘルメットを被らせ、Lはここまで温存してきた最後のカード、ロケットランチャー高辻をトップにしてこの危険区間の突破に挑んだ。下りの区間(南岳小屋-長谷川ピーク)はそれほど危険とは感じなかったが、隊の疲労もあったろう、危険箇所で全員を待ったりしていると、読みどおりくらいの時間がかかってしまった。
キレットにて八嶋
長谷川ピークはピークのところの岩にHピークとペンキで書かれている。後半(長谷川ピーク-北穂高岳)もトップは引き続き高辻である。長谷川ピークから北穂高岳までは、ひたすら岸壁をよじ登り続ける。登りだったからよかったが、このルート、去年企画した逆ルートだったら相当危険だっただろう…。ある意味、行けなくて幸いだったのかもしれない。A沢のコルには落とし物なのか、滑落の事故現場への手向けなのかいろんな装備が落ちていた。長谷川ピークから北穂高小屋までの登りで、勘違いから100分のロングピッチを切ってしまった…。ごめんなさいm(_ _)mそのせいだと思うが北穂高小屋に登りきった頃には皆、へとへとだったと思う。天気は北穂高小屋につく直前に濃霧へと変わった…。そんなアホな…(/ω\*)しかし鬼のLは北穂高小屋では、あまりたるまず水だけ買ってすぐに北穂高岳に向かい、そこでたるもうと考えた。正直強風だったので、隊員は嫌がっていたと思うが進む。するとなんとわずか1分もしないうちにピークについてしまった…?これがピーク?地図には北峰と南峰があるかのように書かれていたので、きっとこれはメインピークではないだろうとして、写真だけ一応撮って先に進んだ。しかし、じつはこれが北穂高のメインピークだったらしい…。そのあとは、ピークらしいものは現れす、一同は涸沢岳への登りへと突入するのであった…。そしてこの区間、大キレットに負けず劣らない危険区間で、全然涸沢岳につかない…。Lは意地でも1ピッチで行こうとしたが、他の3年会に諫められ80分を過ぎたあたりで、一向にゴールが(おもにガスで)見えてこないのでたるみをはさんだ。ごめんねハードなことしてm(_ _)mその後20分ほどで涸沢岳。何も見えない。そして穂高岳山荘。ガスは少し収まってきたようだ。奥穂高の方は少し見晴らしが良くなってきている。山荘で天気予報を確認すると今晩から明日午前にかけて寒冷前線の通過により激しい雷雨と書かれていた…(゚д゚lll)やっぱり最後に試練があったか…。案としては3つあった、1,このまま進んで今日中に岳沢まで行く(岳沢は限界下)2,ここで明日の昼過ぎまで停滞する3,空身で奥穂高だけを討ってERで涸沢まで下る。1は隊の疲労、この先の天気を考えても不適 (岳沢まで6p近くあったため) で、2はそもそも雷が来た時にどうするかが解決されていなかったので、3を選択することにした。というわけで、奥穂高岳を空身でピストン。奥穂高だけの山頂には社というかなんか石碑みたいなものがあった。山頂にいた頃はかなり視界が開けて前穂高も見渡せた。これは神様からのプレゼントかな?
奥穂高岳にて
下りは、渋滞に巻き込まれかなり時間がかかってしまった。穂高岳山荘のトイレは便座が暖かいらしい。穂高岳山荘から涸沢までは600mの下り。かなり疲労していたがそれでも読みよりは早く下ることができた。滑落の危険性は感じなかったが、やはりここは落石に注意すべきだろう。(隊員にはヘルメットをかぶらせた)  涸沢のキャンプ場には東大の診療所があり、またキャンプ届の受付の人は東大の社基出身の人だった。意外と世界は狭いものだ。昨日に引き続き天図は取れなかった。まあよかろう。夜は高辻がポップコーンを油なしで作っていた。夜は、激しい雨と雷。(ただ音は聞こえなかった)

 

8/23() 大雨-小雨-晴れ

525涸沢キャンプ場-615たるみ625-630本谷橋-710横尾山荘723-815徳沢園830-910明神館920-1010上高地(完遂)

夜の間、激しい雨と強風で昨日に引き続きテント内はうるさく、あまり眠れなかった。朝起きてもなお雨は激しく降り続いていたが、パッキングをする頃には弱くなっていた。今回の合宿はこういう日が多かったなと思った。Lの人徳のなせる技かな?出発すると、空は晴れてきて本当に今日、悪天なのかと思うような晴れっぷりだったが、横尾山荘についた時に、天気予報を確認すると、穂高岳では大雨、雷注意報が出ているらしい。昨晩の雷雨といい、これといい昨日涸沢まで下山しておいて正解だったとつくづく思う。さあここからは、今山行に参加した3年会にとっては、北アルプスのウィア・サクラ (聖なる道) と化している上高地街道での11kmDeath Marchである。ここからはもう下界なので自由に歩かせる。ジジイはゆっくり行くとはじめは行っていたのだが、合宿後半で頻尿気味になっていた高辻が先先行ってしまって結局1年とは徳沢までで10分近く差が開いてしまった…。明神館から上高地まではみんなで一緒に歩き、上高地に着くと全員で完遂を喜び合った。その後松本に帰り、下山連絡の後、去年と同じ湯の華銭湯に行き、定食屋を2軒ハシゴするという新スタイルの打ち上げで、鶏と豚肉を食し帰京。東京には2305に新宿に到着。東京在住の人は0時過ぎには家に帰れただろう。

 

まとめ

 

~思い出はいつもキレイだけど♪~from 「そばかす」- JUDY AND MARY

とはよく言ったものである。
今回の合宿、確かに天候に恵まれたとはお世辞にも言えない。アプローチを延期した8/6から数えて18日中かき集めても5日くらいしか晴れていない。しかしまあ要所要所では晴れてくれたような気がする。剱、高天原、槍、穂高とこの山行のメインと位置づけていたところでは、それなりにいい景色を見ることができた。
そしてなんとこの合宿は、全員がゴアマ完遂を達成、及び誰ひとりとして1日さえもおかんし遂げられなかったという、およそ夏道合宿とは思えない破天荒な記録を残した。
しかしそれでもあえて言おう。この合宿は楽しかった。これは自分一人では絶対に味わえない、本当に楽しいメンツに恵まれた終始愉快な山行だった。参加者の皆さん、こんな災害まみれの合宿に参加してくれて本当にありがとう。



移動距離(m)ピッチ(h)
水平登り下り
1246205224463.5
1356305185186.7
14979099711098.8
1566806658044.8
1674707217095.2
170000
18126308337758.2
191442010198739.1
20134907267268.9
2115320141491111.6
229030856162510.7
23171801999554.8
1162608470945182.3

最後に…

今まで21Lをやってきたが晴れたのは7日しかなく、すべての企画が自然災害に脅かされている。これをふまえた上で最後に言いたい。山行中の天候は決して人徳などというものに依るものではないと。私の前世は決して、辻切りや海賊、ましてや邪知暴虐な狂王ではないはずだ。

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